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住まいの情報 ● 百・家・争・鳴

なくなって欲しくない風習

一級建築士 山田智恵

写真:山田智恵

年末の京都

人も街中もいそいそとしているなか、仕事で京都を訪れました。

久しぶりの京都

町には年末独得の雰囲気が漂っていました。
お正月に向けての準備に活気付いている雰囲気が、普段の粛々とした雰囲気とは違いちょっと新鮮に感じます。
そんな京都の町を歩いていると、いつも目に留まる物があります。
それは、屋根の上に飾られた鍾馗※1さん。

鍾馗さん

仁王立ちの小さな鍾馗さんが屋根の上から睨みを利かせているんです。
以前から「はて?なんでこんな屋根の上に鍾馗さんが?」と疑問に思っていました。
疑問に思いながら京都の町を歩き、ついつい視線は屋根の上に向かってしまいます。
「あっ、ここにも鍾馗さんがあった。」
(これではまるで屋根の上の鍾馗さんを探しに京都に来ているみたいですね。)
鍾馗さんは大半が建物の入口の小屋根の上に飾ってありました。
「魔除けだろうな〜」と思いつつも調べてみると、
やはり、鍾馗さんは、受験の神様や魔除けの神様として祀られているようです。
なるほど、なるほど。
言わば魔除けとして屋根に鎮座している沖縄のシーサーと同じような感じなのでしょうね。
ちなみに、私は子供のころに鍾馗さんは子供の守り神と教えてもらいましたが。

他にも、「はて、なんであんなところにあるの?」と思う物があります。
それは、おくど※2さんの上に飾ってあった布袋(ほてい)さん。

布袋さん

にこやかに笑う布袋さんが竈(かまど)の上にちょこんと飾ってあるんです。
「台所の神様なんだろうな〜」と思いつつ、またまた調べてみると、
むかし、京都では、一般家庭の台所にある薪炊きの竈をおくどさんと呼んでおり、
その上には、台所の神様である布袋さんや三宝荒神さんが祀られていたそうです。
三宝荒神さんは火の神さんなので台所に祀られるのはわかるのですが、
なぜ布袋さんが祀られているのかは分かりませんでした。

もしかしたら、布袋さんのにこやかなお顔は、
忙しい台所仕事の中の癒しとして祀られていたのかもしれませんね。
余談ですが、現代のシステムキッチンの上にも布袋さんは祀られているんでしょうか?
今では、おくどさんがある家庭は希だと思いますが、どうなんでしょうか?
ちょっと調べてみたい気もしました。
ちなみに我家の台所(システムキッチンです)の上には、三宝荒神さんが祀られています。
他にも調べてみると、
お便所にも烏栖沙摩明王(うすさまみょうおう)もしくは不浄金剛と呼ばれる神様がいらっしゃるそうです。
汚れがちなお便所にも神様がいらっしゃるのだからきれいにしておくようにという意味合いもあったのでしょうね。
鬼瓦も屋根の棟端の装飾だけではなく、厄除けとしての意味合いがあります。
屋根の鯱は家が火事になった時に口から水を出して火を消してくれるという守り神的な意味があるようです。
火事の中、口から水を吐き出している鯱を想像するとちょっとおかしく思えますが。

このような、建物と神様を依り合わせた風習が生まれたのは、
むかし、火事が起こると大火になりやすく、また、疫病などが発症すると蔓延しやすかったからなのでしょう。
そんな風習には、そのような害から守ってくれるようにという切実な願いとは別に、ちょっと洒落をきかせた遊び心も感じられます。

こうしてみると、普段なにげなく目にしているものが、実はなんらかの意味のある物だったり、風習の一環だったりするものなんですね。
むかしの家にはいろいろな民間伝承に伝わる神様が祀られる習慣(風習)があったんだなと関心しつつ
「はてさて、今もこの風習は受け継がれているのかしら?」と考えてしまいます。
もしかしたら、技術の進化している現代では、
むかしながらの風習を受け継いでいくことも、
また時間をかけて新たに風習が生まれることも難しいことなのかもしれません。

むかしと同じようにというわけにはいかないと思いますが、
屋根の上から睨みをきかす鍾馗さんや台所でにこやかに笑う布袋さんを見ていると
風情を感じ、これからも無くなって欲しくない風習だなと感じました。

※1  (鍾馗(しょうき)は、主に中国や日本の民間伝承に伝わる道教神。
日本では、京都市内の民家(京町屋)などの近畿〜中部地方で、大屋根や小屋根の軒先に10〜20兮腓隆だ修凌遊舛置かれている・・・フレッシュアイペディアより)

※2  おくど:かまどの意(京都ことば)

【やまだ・ちえ】

神戸芸術工科大学環境デザイン学科卒業後、輸入住宅会社入社。設計事務所勤務を経て、山田智恵建築設計事務所設立。

「コミュニケーション」を大切にしながら、より良いものを造っていきたい。それが私の設計コンセプトです。
建物は人と生活を共にするものです。焦らずにじっくりと良いものを造っていきたい。